まず“たきお”じゃなくて“たきのお”です
日光にはいろんなところ滝尾神社がありますが、ここが本家っぽいですね
いまは日光の神社・寺といえば、日光東照宮が一番目立つます
でも日光東照宮ができる前、日光参拝の中心、宗教的にはもっとも栄えていたのがこの滝尾神社というのだから驚きです
この周辺だけでも500以上の寺があったとか・・・
日光東照宮のキラキラのな感じを期待している方には物足りなく感じてしまうかもしれません
でも、ほぼ何も残っていないのがいいんじゃん?というわびさび派の人にはもっともしっくるのでは?と感じています
個人的には、すこし手前から散歩しつつ参拝するがオススメ(散歩好き)
もし時間がとれるなら、日光東照宮とか日光二荒山神社(本社)らへんから歩いて戻るコース(2時間くらい〜)がよいです
すがすがしい気持ちになれました
以下の本を読むとなおロマンを感じると思います
「日光の三神」
著者 吉野さんの推理がめっちゃおもしろいです
なかなか読む機会もないと思うので、ここでは一つだけ
一般的には滝尾神社はタゴリヒメを祀っていると習います
このヒメ(女の神)は有名どころは広島の厳島(いくつしま)神社にも祀られている3姉妹 宗像三女神(むなかたさんじょしん)の一人(海の神)です
スサノオの子供でもあります
タゴリヒメはタギリヒメと呼ぶ場合もあり、たぎりはたぎる(海の神だけに、水が激しくながれるとか、煮え立つの意)から来ているのかな?
で実際にタゴリヒメなのですがそれは江戸時代初期ころからで、それまでは別の神 アサヒヒメを祀っていたんです
はい、アサヒヒメきました
そしてなぜアサヒヒメかという考察がするどい
わたしのようなシロウトが反論できるわけもなく、ロマンしか感じません
そして、そっちのほうがしっくりくる
あと滝尾神社は空海が作ったという話もあり、めっちゃロマンですが、日光市史ではきっちり否定していますね
「ありえない」と
たしかに勝道上人の存在を現代に伝えているのは空海となっていますが、マジで日光まできたのか?というとなかなか決定的な証拠がないみたいですね
空海がほんとうにきていたらすごいことなのですが