修験道(しゅげんどう)について

修験道とは?

5秒でいうなら、主に山で修行する日本独自の宗教

 

修(しゅう)は身につけるの意味。

験(げん)とはしるしや効きめの意味で、つまりふつうの人間を超えた神さまの力

道(どう)は仏の教えで、仏教でいう人として進む道。

 

・・・「山で修行して神の力を身につける教え」といえます。

 

山に神さまがいて、っていうかそもそも山自体が神さま。

山にはいり厳しい修行(仏の行いを身につける)して、神の力を身につけ、人びとを助けます。

日々の悩みを解決したり、病を治したり、いまでいうカウンセラーのような役割もして活躍していました。

 

修験道をやっている人を、修験者(しゅげんしゃ)

または山に伏して、山を感じる理解することから山伏(やまぶし)といいます。

誰がつくった?

誰がつくったとかはなく、長い歴史の中で自然に発生しました。

役行者(えんのぎょうじゃ)さんという人が開祖とか言われていますが、もっと古くからあったし。

修験道の歴史 ざっくり流れ

縄文・弥生時代

山=神とする山岳信仰がすでにありました

 

狩猟は獲物を与えてくれる。

稲作に必要な水を与えてくれる。

 

みんな山のおかげです。

飛鳥・奈良時代

山に入り、登り、てっぺんでお祈りをした人がすでにいました(遺跡から推測)。

 

やっぱり里から山を拝むだけじゃ物足りなくなってきましたよ。

なんでかというと、仏教とか道教とか、外国の宗教の考えがはいってから。

仏教は山の寺で修行するし、道教も山に入って修行していた影響を受けたのです。

 

修行者はどんどん増え、神の力を身につけた者は、山を下りて病を治したり、呪術的な活動をしました。

もちろん日光も例外ではないです

勝道さんが男体山に登ったのが奈良時代の末期。

でも一番最初に登った人ではないことはわかります(最初に仏教を開いたのは勝道さん)

平安時代

さらに山で修行する人は増え、この流れで出てきたスーパーエリートが、最澄(さいちょう)さんと空海(くうかい)さん。

それぞれ、天台宗と真言宗を開きましたね。

こういったエースは、天皇や貴族を含めて、みんなからリスペされました。

 

平安中期までは修験道は 験のGETを目的としていました。

さらに平安後期になると、聖地・大峯山(おおみねさん)で修業する峰入り(大峯山入りの略)が整備されました。

鎌倉・室町

修験道完成!

明治 初期

神仏分離政策によって、解体されちゃいます

参考本

山岳信仰 – 日本文化の根底を探る (中公新書)

図説 地図とあらすじでわかる!山の神々と修験道 (青春新書インテリジェンス)