最重要資料とは、日光開山碑のこと
日光開山碑の正式名称は、
沙門勝道歴山水塋玄珠碑并序
(しゃもんしょうどうさんすいをめぐりてげんしゅをみがくひ)
です。
書いたのは、なんとあの空海
勝道と空海は会っていませんがおなじ時代を生きた人で、さらに共通の知人がいました
空海はその知人経由で依頼されて、勝道上人の存在を伝えます
結果、いまの日光のなりたちを伝えるものとなり、もっとも公式かつ重要といえる資料です
仮にこれを偽物とするなら、では日光の成り立ちってなんなん?ってなっちゃうので、現状ではある程度は信じたいところです
で、最近読んだ『日光開山 勝道上人事跡の謎』などを参考に、重要ポイントだけをピックアップしました
場所とかはすべて現代風に書いています
日光開山碑 オリジナル現代語訳
- 勝道上人は栃木県の芳賀郡の人で、若田さんという
- 小さいころから仏の道を目指していて、20歳で正式なお坊さんに
- 男体山のてっぺんを目指し、3回目のチャレンジで成功
- てっぺんでは小屋をつくり、仏さまを拝みつつ、21日間すごした、あと中禅寺湖を見つけたよ
- そのあとでもう1回 男体山に登って、5日過ごした
- そのあと中禅寺湖のほとりに行き、小舟をつくって2.3人で湖で冒険した
- 中禅寺湖 周辺には寺を建てて神宮寺と名付け、4年間修行
- 桓武天皇は勝道の活躍を聞いて、グンマーの講師(仏教の先生)に任命
- 都賀郡の城山に華厳の寺を建てた
だいたいそんな感じです
え、めっちゃ少ない!と思いません?
そうなんです、かなりシンプルなんです
残念なことに、武勇伝とかもあんまりないんです
たくさん資料や言い伝えはありますが、これ以外はほぼファンタジーな感じ
ナンバー2の資料ですら、けっこうあやしい
もちろん書いてあることすべてうそというわけでなく、そこにはいろんなヒントがつまっていて、重要資料であることは間違いないです
でも(わたしがちょっとだけ調べた限りですが)この「日光開山碑以外はファンタジーだな」説がある程度支持されているのは抑えておきましょう
川を渡るのに蛇の神さまがたすけてくれたり、4色の雲が輝いたりとか、そういう伝説はここには書いていないことないんです
っていうのは、抑えておきたいところです
主な参考書
日光開山 勝道上人事跡の謎