江戸時代でしばらく平和が訪れた日本。
平和だったのはよいが、いいところばかりじゃない。
外国と一切やりとりしなかったから、世界にめっちゃ遅れをとってしまった。
インターネットもなかった時代だから、外の情報がなんにもなかった。
で、このままだと外国の強い国に日本が支配されてしまうんじゃ?
時代は明治になっても、そんな恐怖がどんどん大きくなります。
原点に戻るべしと日本古来の神道を重視したのはいいけれど、逆に外国の宗教 仏教ぶっこわし運動「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」も起こり、日本人の心は悲惨なものに。
世間は「最先端の西洋にならえ」の勢いが強い状況。
日本文化にとっては逆風の中「でもやっぱり日本の文化とか美術はすばらしいよ」と世界へも含めて主張したのが、岡倉天心ですね。
この時点でかなりかっこいいですが、歴史の教科書には3行ぐらいの説明しかなかった気がする。
天心の師匠は、アメリカ人でありながら日本美術のエクセレントさを発信したフェノロサ。
いつの時代も、変化をもたらすのはよそ者がかかせません。
天心の考えは時代の先を行きすぎて少数派だったので、自分でつくった大学を追い出されたり、敵も多かった。
でも負けないのが天心。
日本の良さを知るのに、源流となる中国やインドでも学びます。
いっぱい勉強して出版したのが有名な「茶の本」。
これはおいしいお茶が飲める作法が書かれているのではないですね。
「お茶には日本とか東洋のすばらしさとか世界観がすべてつまっているよ」
と天心は伝えています。
お茶は中国生まれ。
もとは薬のような存在だっけれど、それから飲み物になった。
日本に伝わったあと、最終的には、、哲学とか宗教にまで高めちゃうんだから日本人はすごい。
小さいな世界のなかに宇宙を見いだすのが得意です。
じぶんが信じていることが日本人に相手にされなくて、ふつーはめげるところを、この人は海外の評価を高めることから攻めます。
世界が認めれば自然と日本人の反応も変わる。
すげーよ、天心。
茨城県最北東部にある五浦(いづら)に、日本画の研究所をつくり、弟子たち(横山大観ら)とともに移り住みます。
業界から高い評価を受ける作品が、のちにここから生まれました。
北茨城は日本美術の聖地ともいえますね。
観光ガイド
天心記念五浦美術館
天心や弟子達の作品を見るならココ。
茨城大学五浦美術文化研究所
有名な六角堂や五浦の景色を見るならココ。
すぐ近くに岡倉天心の墓も。
参考文献
まずは入門編がオススメです。