【アーネスト・サトウ】日光観光の恩人。インバウンドの原点。

アーネストサトウさんについて、かんたんに整理しておきます。

だんだん追加します。

アーネスト・サトウをざっくりいうと・・・

  1. イギリス生まれの外交官。めっちゃ日本好きで、奥日光をめっちゃひいきして、その魅力を世界へ知らしめた日光観光の恩人
  2. アーネスト・サトウの影響を受けて外国人が奥日光に関心を示し、外国人が中禅寺湖周辺に次々と別荘を建てた
  3. 中禅寺湖半に建てた別荘は、のちに英国大使館の別荘となり、今の英国大使館別荘記念公園につながっている

幕末・明治記に活躍した外交官

アーネスト・サトウは19歳のときに通訳生として日本を訪れます。

なぜ日本とかいうと、18歳の時に本で日本を学び、日本好きになったのです。

 

外交官とは名前のとおり外交で、日本と外国の交渉を行う重要な仕事ですね。

 

明治5年(1872年)、28歳のときにはじめて日光へ。

外交官を引退してイギリスに戻るまで、通算約25年駐在しました。

 

めっちゃ優秀、日本語も上手で、明治維新に大きな影響を与えるほど活躍しました。

教科書に出てくる幕末のあの戦争も体験

薩英戦争(薩摩 VS イギリス)

下関戦争(長州 VS イギリス・オランダ・アメリカ)

 

しっかり通訳して、各国の交渉にあたります。

上司のススメで日本研究

当時上司であったハリーパークスさんに「日本をもっと研究してね」と勧められ、いろいろ旅します。

ハリーパークスさんは、明治維新後はじめて日本へ行った西洋人で、アーネスト・サトウさんは2番目。

 

で、言語、考古、歴史、民俗、地理、宗教など、日本に関する論文を発表。

こんなにマスターしている人、日本人でもなかなかいませんよね?

いま日本にいてもいろいろ教えてくれそう。

日光のガイドブックをつくる

日光ガイドブック」や、「中部北部日光旅行案内(こっちは共著)」ってガイドを出します。

日本へ行く外国人にとって必読書になりました。

イザベラ・バードにも影響を与えた

代表作「イザベラ・バードの日本紀行」では前書きからアーネスト・サトウさんに丁寧にお礼をいっています。

公使館の日本書記官はアーネスト・サトウ氏で、氏の研究に対する名声、とくに歴史分野におけるそれは、当の日本人から日本で最高だと言われるほどで、一イギリス人にとっては誉ある印であり、一五年間のたゆみない勤勉努力の賜物です。

中禅寺湖半に建てた別荘は、今の英国大使館別荘記念公園に

【英国大使館別荘記念公園】周りをちょっと散策

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