まだ詳しくないため、一度では理解できないので何度も読み返しています
著者は職業としての専門家ではないが、ライフワーク的にずっと研究をされていて詳しい人の本です
いろいろおもしろいので、気になる人は読んでください
ここでは1つだけポイントを
個人的にも気になっていた問題の考察がよかった
それは「日光山信仰」の矛盾です
日光山信仰では、男体山=千手観音、女峰山=薬師如来となっています
山としては男体山(=千手観音)がトップですが、仏としては薬師如来(=女峰山)のほうが格上になんですよね
仏のランク的には 如来>観音(菩薩)です
男体山が薬師如来だったらスムーズに理解できるのですが
宗教のルールは時代によって権力者がコントロールするので、矛盾を調整しきれかったのかな、くらいに思っていました
著者の考察からこう考えてみました
なんで矛盾っぽくなったかというと、日光山信仰がはじまる前からいた、地元の神さまの流れが残っているから
最初に、地元に3体の神さまがいた
また神と仏はセットで考えます
それがオオクニヌシ(=千手観音)、タゴリヒメ(=薬師如来)、アジスキタカヒコネ(=馬頭観音)
本書の調査によると、女峰山のタゴリヒメは江戸時代ぐらいのデビューで、その前は別の神がメインだったのですがそれはおいておきます
で、あとから山岳信仰がやってきた
神=仏と、山の結びつけ
主峰である男体山にその3体をうつし、女峰山と太郎山についてはそれぞれタゴリヒメとアジスキタカヒコネ1体ずつをうつした
で
男体山 オオクニヌシ(=千手観音)、タゴリヒメ(=薬師如来)、アジスキタカヒコネ(=馬頭観音)
※3セット
女峰山 タゴリヒメ
太郎山 アジスキタカヒコネ
というわけ
さらに日光は仏教がスタートする前から、インドの伝説上の聖地 補陀落(ふだらく、二荒山の由来説あり)と例えられていて、補陀落の仏は観音
だから男体山を(今の解釈では薬師如来より格下の)千手観音のままにしたのかな
公式な本では語れない想像もあって、それがおもしろい本です