栃木県はかつて、仏教の先進地でした。
そのヒントが、下野薬師寺跡にあります。
栃木ロマンをもとめ、ようやく行けました。
ざっくりいうと・・・
- 栃木県下野市にある、かつてめちゃすごかった寺の跡地
- 当時日本に3つしかなかった、お坊さんになるための試験場ができほど(戒壇という)栄えた
- 今はほぼ何も残っていないので、歴史館で学んで現地を歩いてロマンを感じる
基本情報
所要時間 <120分〜> ※歴史館見学と合わせて
お楽しみポイント
まずは下野薬師寺歴史館へ
下野薬師寺跡は、いまはほぼかたちがない跡地なので、まずはここでロマンを学びましょう。
30分程度の映像を見るだけでも、概要が理解できます。
駐車場もあるので、ここを拠点に散策OK。
当時のイメージを確認できるタブレットも貸出中。
戒壇(かいだん)ってどういうこと?何がすごいの?
お坊さんになるために試験があって、試験するところを戒壇(かいだん)といいます。
戒とは仏教の厳しいルールのこと。
壇は宗教的なことを行う場所。
戒壇とセットで出てくる単語が、受戒(じゅかい)。
受戒とは仏教のルールを守りますっていう誓いのこと。
つまり「戒壇で受戒して、レッツ仏の道!」というわけです(もちろん猛勉強が必要)。
では、なんでこんなことをする必要があるのでしょうか?
仏教で国を治めようとした奈良時代のこと。
奈良の大仏づくりを命じた聖武(しょうむ)天皇、日本史のテストでよくでましたね。
あ、無料で使えるイラストがあったので、使います。
似ているどうか知りませんが、なんか楽しげになるので、使います。
![](https://inafan.jp/wp-content/uploads/2020/06/shoumu-300x300.jpg)
聖武天皇
当時は国をあげての仏教ブームだったので、仏教を広めるのに大事なお坊さんは、ひいきされぎみでした。
とくにお坊さんは「税金を納めなくてもいい」というルールがあって、どうなったか。
税金が払えないような人を中心に、勝手にお坊さんになる人が増えました。
そりゃそうですよね。
坊さんバーゲンセール。
「みんな坊さんになろー!税金払わなくていいですよー!」
こうなると当然テキトー坊主が増え、国が乱れる。
聖武天皇「やべっ、バーゲン即中止!」
さすがにまずいよねということで、
「テストして合格した人だけがお坊さんになれるよ!」
ってしたわけです。
テストの試験場が、戒壇。
日本に最初にできた戒壇が、奈良の大仏で有名な東大寺。
当時日本には戒壇をつくれる人がいなかったので、本場の中国から先生を連れてこなければなりません。
で、きてくれたのが、同じくテストで出まくりの鑑真(がんじん)さんです。
![](https://inafan.jp/wp-content/uploads/2020/06/ganjin-300x300.jpg)
鑑真
イラストあった。
本場でも超えらい人だったのに、「日本にも仏教を広めるべし!」と、命の危険を冒してまでも・・・船による移動に5回も失敗したり、途中失明してしまったり、めっちゃ苦労して、ジャパンへきてくれた偉大なお方です。
鑑真さんのがんばりもあって、戒壇はできました。
でもまた問題発生。
地方の人「戒壇システムはOK。でも奈良の東大寺、おらんちから遠すぎるだ!新幹線ないし。おいらは行けないっす」
聖武天皇「わかった、わかったよ。西と東にも追加するよ!」
そして東にできたのが、薬師寺だったのです(ようやくでてきた)。
戒壇は日本に3つしかなく、東日本的には日本唯一!
なので仏教ブームの奈良時代に、薬師寺がいかに栄えてきたかが想像できるでしょうか(都があった平城京クラス級に栄えていたという説も)。
ちなみに薬師寺というと、奈良の薬師寺を想像する人が圧倒的に多いです。
なので正式には薬師寺ですが、下野薬師寺と親しまれています。
なぜ下野市の地に、すごい薬師寺はできたのか?
「薬師寺がすごいことはなんとなくわかりました。」
「自分、栃木県なめてました。」
「でもなんでここにできたの?」
「栃木県だったら、県庁のある宇都宮とか、世界遺産がある日光とかっぽくない?」
「下野市って”かんぴょう”じゃないの?」
歴史館の親切なスタッフに伺いました。
めちゃ熱い方で、テンションあがりました。
(こういう方が地域の魅力を支えているだな)
答えを一言でいうと
「たぶん、超エリートががんばったから」
です。
そのエリートとは、下野古麻呂(しもつけのこまろ)さんです。
「え、誰だよ?」という心の声が聞こえてきた。
でも名前に下野という栃木県の旧名があることからしてもなんとなくそれっぽい感じが漂います。
謎は多いのですが、下野生まれらしい。
そんで中央(奈良とか)でめっちゃ活躍。
どれくらい活躍したかというと、テストで覚えさせられた「大宝律令(たいほうりつりょう)」づくりに関わりました。
つまり当日の国を治めるルールづくり、政治とか、ルールを破った人への罰とかもっともだいじなヤツ、を作ったメンバーでもありました。
このエリート 古麻呂さんが、下野薬師寺づくりに関わっていたとされています。
なんどもいうように当時は仏教ブームで、豪族などの力を権力者が寺を作ることが流行っていました。
「最初は古麻呂さんが一族の寺として薬師寺を建てたのではないだろうか?」
「そんで戒壇話がでたときに、薬師寺の中においてもらうよういろいろ働きかけたのではないだろうか?」
そんな説があります。
古麻呂「ぜひ我が故郷下野の薬師寺に、戒壇を!」
という感じでがんばってくれた説に、わたしは一票。
記録があまりなく、想像ばかりの世界・・・ロマンですよね。
薬師寺が下野の地でできたことは、あとの時代になっても大きな意味をもちます。
たとえば世界遺産のある日光も関係あります(別のところで説明します)。
有名人の道鏡(どうきょう)さんもいらっしゃいましたよ
「道鏡って誰だよ?鏡かよ?」
「今回やけに登場人物多いな?」
・・・えらいお坊さんです。
仏教ブームの時代は、お坊さんが力をもちます。
ピークのときは、政治にも口を出すようになります。
もっとも極端な例が、天皇になる一歩手前まで行ったお坊さんもいました。
それが道鏡さんです。
道鏡さんは当時の天皇(女帝)と仲良くなり、ひいきされ、めっちゃ出世しました。
でもよくしてくれた天皇が亡くなると、力を一気に落とし「もう政治に口だしすんな、出て行け」と追放されます。
その追放された土地が・・・
薬師寺なのです。
道鏡さんは、薬師寺にきて2年後に亡くなりました。
薬師寺跡の近くに、道鏡さんのお墓のある寺があります。
もっと詳しく知る
日光のパイオニア勝道(しょうどう)さんも薬師寺で学びました
日光人大好き 勝道さん。
奈良時代の人で、道鏡さんも活躍した時代です。
今の日光に世界遺産である日光東照宮があるのは、徳川家康さんが日光を選んだからです。
ではなぜ家康さんは日光がよかったのか?
日光に山岳信仰が栄えていたことが大きく影響しています。
日光山を開いたのが、勝道さんなのです。
山岳信仰では、修行する人が険しい山に神さまがいると考え、お祈りや修行をします。
めっちゃ原点です。
勝道さんは日光市出身ではなくて、いちごの産地として有名な真岡(もおか)市出身です。
真岡市にある仏生寺(ぶっしょうじ)という寺があるあたりで生まれたといわれています。
でココがポイントでして、勝道さんの生誕地は、下野薬師寺にけっこう近い(約20kmくらい)です。
これはけっして偶然ではないはず。
仏教ブームの時代に、生まれた場所の近くに、日本3戒壇のある薬師寺がありました。
影響を受けないはずがありません。
子供の頃、近所にりっぱなバスケットコートがあって、バスケ漬けになって、NBA選手になったようなものです(たぶん)。
仏の道を志すのに最強の環境だったはず。
結果的に勝道さんはめっちゃ優秀なお坊さんになり、日光山を開きます。
それで家康さんに日光も気に入って、日光東照宮ができ、日本有数の観光地として現代までずっと続けていわけです。
歴史はおもしろいほどにつながっていまして、そのつながりを感じるのがロマンですね。
薬師寺は、勝道さんのマンガにも出てきます。
ちなみに薬師寺で勝道さんの師匠は、如宝(にょほう)さんといって、鑑真さんの弟子です。
つまり鑑真さんの弟子の弟子が、勝道さんなのですね。
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