「日光東照宮の関連施設に行ってみたい。」
「グンマーにも東照宮があるって聞いたんだけど・・・」
「徳川家の発祥がグンマーってどういうこと?」
そんな疑問に興味をもった方はぜひココへ。
群馬県太田市にある世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)です。
ここがオススメ
- 「東照宮の発祥」を学ぶ
基本情報
公式サイト 世良田東照宮 | 徳川氏発祥の地・世良田東照宮公式サイト
所要時間 60分〜
お楽しみポイント
徳川家の発祥はグンマーです
群馬出身でもよく知りませんでした。
どういうことかざっくり説明します。
群馬県の太田市には、徳川という町があります(もとは徳川郷)。
徳川郷にはかつて、新田義季(よしすえ)という人がいまして、その人が「徳川」と名乗ったのが徳川家のスタートとされています。
新田義季さんは、源氏の元祖である八満太郎義家の孫、新田義重(よししげ)の息子(4男)とされています。
新田義季あらため、徳川義季さんの祖先が・・・
徳川家康さんです。
徳川家康さんはもともと松平さんでしたが、途中で由緒ある徳川を名乗るようになります。
徳川のスタートは源氏の元祖のひ孫なわけですから、身分的には申し分ありません。
松平よりも徳川のほうが都合がいいのです。
なんでグンマーから徳川家康さんのふるさとである三河(いまの愛知県 東部)に?っていうと・・・
徳川郷の領地を失った徳川家のある人が、お坊さんとして徳阿弥(とくあみ)と名乗って、ふらふら国を渡りながら三河に住み着いた・・・そうです。
はい。
徳川家の発祥はグンマーですね。
ということで徳川家康さんにとって、義季さんは先祖しかも元祖なので、大切にします。
家康の意思を継いだ3代目 家光さんは、日光東照宮の奥社を世良田(グンマー太田市)に移築し、世良田東照宮をつくります。
家康さんが亡くなった直後、最初に作られた日光東照宮は最初いまのようなキラキラ感はなく、地味めでした。
それを徳川家光さんが、リスペクトするじぃちゃんの遺言どおりに、あらためてキラキラなヤツにパワーアップさせます。
つまり最初の地味なほうの奥社を、世良田東照宮へ移築したのですね。
そうです。
世良田東照宮の奥社は元祖です。
その後も、歴代の将軍が世良田東照宮の修復にあたります。
天下人 家康をリスペクトして作られたのが、日光東照宮。
徳川の元祖 義季をリスペクトして作られたのが、世良田東照宮。
家光さんは両方つくったわけですね。
どこまで信じるかはあなた次第です
徳川発祥説は証拠も少ないのか、「でっち上げだろ」という説もあります。
井沢元彦さんの著書によると、新田義重さんまでは実在した証拠がはっきりしているそうですが。
関ヶ原の戦いに勝った徳川家康さんは、天下人と名乗り上げるまでカウントダウン状態。
徳川フィーバーなタイミングで、その血筋を正統な「源氏」とするため、あらためて家系図を作り上げたという説もあります。
ただもし徳川発祥説が史実ではなかったとしても、天下人家康さんが義季さんを徳川家の先祖(発祥)と認め、東照宮を建てさせ、徳川家がだいだい大事にしてきたことは間違いありません。
少なくともこの事実には価値はあると思います。
となりにある「長楽寺」には徳川義季さんのお墓
三仏堂は中が見られませんでした。
輪王寺の山仏堂みたいなのを期待したのですが。
となりにある「新田荘歴史資料館」では新田氏の勉強
となりにあるのは新田荘歴史資料館。
この辺はかつて新田庄(現太田市)という場所でして、新田と言えば新田義貞さん。
室町幕府を開いた足利尊氏さんのライバルです。
徳川義季さんも、足利尊氏さんも、新田義貞さんも、みんな源氏の子孫。
ファミリーです。
参考図書
世良田東照宮
※現地で買いました。アマゾンで扱っていません
日光東照宮の謎 高藤 晴俊
高藤さんの説は、世良田東照宮の公式パンフレットでも取り上げられています。
神社から読み解く信仰の日本史 (SBビジュアル新書)
世良田東照宮の記述がほんのちょっとだけあり
こうなったらもっとうれしい
ほころびが多いので、また修繕がんばってほしい
世良田東照宮の奥社などは、国の重要文化財に指定されています。
また世良田含むグンマーにとってはもちろん、本家 日光東照宮にとっても大切なものです。
そのわりにはいろいろ痛んでいるので、修繕をがんばってほしいです。
日光東照宮の修繕を担当したデービット・アトキンソンさんの小西美術工芸社よって、文化財を修繕することでお客さんが増えた例もあります(しかも国宝に)。
2015年5月21日 放送 小西美術工藝社 社長 デービッド・アトキンソン 氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京
※有料会員になると見られます