【勝道上人(しょうどうしょうにん) 歴史】聖地日光の基礎をつくった栃木県民

勝道さん ざっくりストーリー

勝道さんは、奈良時代後半に活躍した栃木生まれのお坊さんです。

真岡市(もおかし)の仏生寺で生まれました。

お父さんはいまでいう県知事。

若くして仏の道を志し、20歳のころには 栃木市 出流山満願寺(いづるさんまんがんじ) で修行。

さらに近所の下野薬師寺(しもつけやくしじ)ってところで修行します。

下野薬師寺跡

薬師寺での師匠は、本場の仏教のルールを日本へ伝えた鑑真(がんじん)の弟子という豪華さ。

鑑真

このあたりのことは以下で詳しく書いています。

参考 【下野薬師寺跡】栃木は仏教の先進地でした。そのヒントがここに

 

下野薬師寺から晴れた日によく見える男体山。

おれ、あの山制覇するわ

いつしかてっぺんを目指すことを決意。

この時代は「仏教パワーで日本を収めよう」ブームで、修行する人が増えていました。

レベル35になるために山にこもり経験値を積むことが必要だったのです。

 

3度目のチャレンジで、てっぺんに登ることに成功。

その後も今の奥日光をいろいろ開拓します。

具体的なことはもうちょい下のほうでまとめます。

 

…って感じで、聖地日光の基礎をつくったえらい人です。

 

その後 江戸時代となり、天下人 徳川家康は聖地日光に(自分がお世話になる墓の場所に決めるほど)めっちゃ心を惹かれます。

 

で、3代目 家光によって豪華な日光東照宮ができます。

これで聖地日光+日光東照宮の最強コンビが登場。

今の観光地日光にそのままつながっているのです。

 

日光で成し遂げたすごいこと

やったことが、ほぼ世界遺産レベル。

勝道さんは日光観光パイオニアともいえます。

世界遺産「神橋」をつくる

蛇の神様の伝説が有名ですが、そんなエピソードが残るとうことは、実際にめっちゃ苦労して橋をつくって渡ったんだと想像します。

世界遺産 四本龍寺(いまの輪王寺のもと)を建てる

はいはい、男体山を目指すために、拠点をつくったのですね。

参考 【日光二荒山神社別宮 本宮神社&四本龍寺 レポ】日光や日光山がどうして聖地に?勝道さんストーリー

男体山に登る

2回失敗してようやく3度目に成功、4度目も登っています。

世界遺産「中禅寺」をたてる、「立木観音」をつくる

【中禅寺(立木観音)レポ】立っている木を彫って観音さまを作っちゃう日光の祖 勝道さん

上野島に行き、名付け得る

上野島

え、中禅寺湖にぽつん浮かぶ、あの島も。

世界遺産「華厳の滝」を発見する

え、この滝もですか。

【華厳の滝】日光の雄大な自然を象徴する日本三名瀑

湯元温泉を見つける

【奥日光 湯元温泉】県内有数のにごり湯。日光の世界遺産や自然と楽しむのが王道

温泉もみつけちゃったのね。

渡良瀬川を名付けた伝説

渡良瀬川の源流は、足尾の山。

渡良瀬は渡るのに良い瀬でして、瀬とは川の浅いところ。

勝道さんが足尾に行ったとき、橋がないので渡れず困っていたが、川の浅いところを発見してぶじ渡れた。

だから渡良瀬川と名付けた・・・という伝説。

 

 

栃木県/とちぎ豆知識「とちぎの伝説」渡良瀬

 

お坊さんですが・・・

観光地日光の基礎をどんだけ作ったんだよ

今後も増やしていくかも

勝道さん年表 主に成し遂げたこと

 

735 真岡市 仏生寺(ぶっしょうじ)で生まれる
754 出流山満願寺があるところで、修行3年(寺はあとで建てる)
761 下野薬師寺に入り、修行3年
765 出流山満願寺(いづるさんまんがんじ)を立てる
766 日光へ。四本竜寺(しほんりゅうじ)を建てる→聖地・日光山スタート
782 男体山 山頂
784

中禅寺(ちゅうぜんじ)を開く ※当時は神宮司(じんぐうじ)

華厳の滝を発見

788 湯元温泉を発見する
789 桓武天皇の命により、上野の総講師になる
790 本宮神社を建てる
810 日光山を万願寺とする(今の輪王寺)
816 男体山山頂に、日光三社大権現を祀る
817 死去(83歳)

とくに参考になった本

オススメ本

唯一のマンガ。わかりやすさは一番。

SHODO 勝道上人伝 (ヤングジャンプコミックス)

参考本

古寺巡礼 東国 (2) 輪王寺

日光市史 (1979年)